グレース・ケリー。
米女優であり、モナコ王妃であったケリー(1929~1982)が思い浮かんだなら、ここでもう一人の才能ある芸術家を追加する必要がある。そのケリーの死から10年後に生まれたグレース・ケリー(26)は、在米韓国人2世の音楽家だ。
ケリーは、今年「ジョン・レノン作曲コンテスト」カントリー部門の優勝者だ。毎年、全世界のシンガーソングライター志望者の新作の中から最高を選ぶ大会だ。韓国を訪れたケリーをソウル麻浦区(マポグ)のホテルで会った。ケリーは、「優勝曲『Feels Like Home』は、ボーイフレンドのために作った愛の歌だ」とし、「大きな賞をいただいて信じられない」と喜びを抑えられず、泣くかのように笑った。
ケリーのキャリアも信じ難い。7歳の時に作曲を始めた。「12歳の時、自分のバンドを率いて演奏を始めました。米国の外に初めて出ていったのが13歳の時だったが、自分のバンドのノルウェー公演のためだったんですね」
「Take 5」で有名なデイヴ・ブルーベック(1920~2012)と数回共演したジャズの巨匠リー・コニッツ(91)、フィル・ウッズ(1931~2015)とそれぞれのデュオ演奏のアルバムを出した。
「オバマ大統領就任記念コンサートに参加したことも非現実的でした。ニューヨークでスウィントン・マサルリスが息子と食事に来て、レストランで公演していた私の演奏をたまたま見て、参加を提案しました」
16歳でバークリー音楽大学に全額奨学生として入学し、19歳でその学校の講師となりました。レノンコンテストの優勝曲も盛られたケリーの新作「GO TiME…:Brooklyn2」も平凡でない作品。全曲をブルックリンのレコーディングスタジオでライブで録音した。少数の観客を招待して踊りながらサックスを吹く神業を発揮した。音質の問題を心配した録音エンジニアが引き止めたが、踊りながら演奏するためにワイヤレスマイクを使った。ケリーは、ボーカルとサックス演奏も自在に行き交う。グレース・ケリーは彼女の本名。元の名前は、グレース・チョンだが、母親が米国人のケリー氏と再婚して、今の名前を持つようになった。
「幼い頃からケリーが主演した映画『私は無実だ』(1955年・アルフレッド・ヒッチコック演出)が本当に好きでした。私は自分の名前が非常に気に入っています」
古典的な芸術が好きな新世代として、ポップカルチャーに馴染んでいる若い世代に音楽史とジャズを紹介する架橋になるのが彼女の夢だ。
「チャーリー・パーカーからスクリレックスまで、ほぼすべてのジャンルからインスピレーションを受けます。最近エフエックス、イ・ジンアのようなK-POPにも嵌っています」
ケリーは、京畿加平郡(キョンギ・カピョングン)のチャラ島国際ジャズフェスティバルの14日の舞台に自分の「ブルックリンバンド」と上がって演奏する。踊る時間だ。
イム・ヒユン記者 imi@donga.com