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白馬高地の遺骨発掘

Posted September. 10, 2018 08:37,   

Updated September. 10, 2018 08:37

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1950年の韓国戦争勃発後、洛東江(ナクドンガン)戦線まで後退していた韓国国軍は、仁川(インチョン)上陸作戦に支えられ、ソウルを修復して平壌(ピョンヤン)を奪還したが、中国軍の介入で1951年に1・4後退を強いられる。1951年7月に休戦会談の開始により、戦争は限られた攻勢に転換される。この時から起き始めたことが高地争奪戦であり、その中で最も激しかった戦闘が白馬高地戦闘だ。

◆「白馬高地は、江原道鉄原郡(カンウォンド・チョルウォングン)ミョジャン面シンミョン里に位置する標高395メートルの山で、戦争前は誰も注目しなかった無名の高地に過ぎなかったが、戦線が固着してから、鉄のトライアングルの左肩部分を瞰制する重要地形地物で有名だ。名称の由来は、戦争中砲撃によって樹木が倒れてしまった後の形状が、横になっている白馬のように見えたので、白馬高地になったという説と、当時参戦したとある連隊の副連隊長が外国メディアの記者に、「ホワイトホースヒル(white hose hill)」と答えたことから始まったという説がある」。白馬高地駅に書かれている名称の由来説明だ。

◆白馬高地では、国軍第9師団と中共軍第38軍の間に、1952年10月6日から15日までの10日間、7回も高地の所有者が変わる戦いが繰り広げられたというから、どれほど激しい攻防戦だったのか見当がつく。韓国戦争で、単一戦闘では最も多い27万発の砲弾が使われた。中共軍1万3000人が死亡し、韓国軍は3000人が犠牲になった。第9師団はこの戦いの勝利で、後で白馬部隊と呼ばれるようなり、その勇敢さが認められ、1966年、猛虎(メンホ)部隊(昨今の首都機械化師団)に続いてベトナム派遣部隊に選ばれた。

◆韓国と北朝鮮は、非武装地帯(DMZ)内の白馬高地の激戦地での共同遺骨発掘に合意し、今週、軍将官級会談で確定する計画だ。DMZ内で韓国戦争時に最も激しい戦闘が行われた場所での共同遺骨発掘はその意味が少なくない。白馬高地駅から北側にさらに行くと、「鉄馬は走りたい」で有名な月井里(ウォルジョンリ)駅がある。京元(キョンウォン)線鉄道はここで切れている。遺骨発掘作業がきっかけとなって、近くの地雷を除去し、鉄馬をさらに走らせる作業にまでつながることができればと思う。


ソン・ピョンイン論説委員 pisong@donga.com