Go to contents

老いた鶏は忘れろ、W杯優勝で若きリーダーシップに沸くフランス

老いた鶏は忘れろ、W杯優勝で若きリーダーシップに沸くフランス

Posted July. 17, 2018 10:06,   

Updated July. 17, 2018 10:06

한국어

15日(現地時間)、クロアチアを破って1998年に自国で開催された大会以来20年ぶりにワールドカップ(W杯)の王座に復帰したフランス代表のドレッシングルームはお祭りムードだった。その盛り上がりの中心にはフランスのエマニュエル・マクロン大統領がいた。スーツの上着を脱いだマクロン大統領は、シャツの袖をまくり上げたまま、DFバンジャマン・メンディやMFポール・ポグバと一緒になってダンスを踊った。最近若者の間で人気のDABダンスだった。選手たちは大統領と打ち解けて盛り上がった。一緒に肩を組んだり、自分撮りで写真を撮りまくった。マクロン大統領は試合終了後、雨が降るグラウンドに設置された表彰台で、びっしょり濡れながらも監督や選手たちをひとり一人抱いてあげた。マクロン大統領は、「フランス代表は、サッカーでの成功を超えて6000万のフランス人の夢を現実のものにしてくれた」と感謝の気持ちを伝え、16日、選手団をエリゼ宮に招待した。

お祭りの場で、もう一人の主人公はフランス代表のディディエ・デシャン監督だった。試合後の記者会見に臨むために会見場に入ると、選手たちが飛び出して監督に水をかけて、首を絞めつけながら歌いだした。記者会見の檀上に上がって踊る選手もいた。デシャン監督は、水浸しになった顔を拭きながら、「私は霧の中にいるようだ。しかし、私たちは幸せの中で泳いでいるのだ」と楽しそうに語った。

決勝で先発出場したフランス代表11人の平均年齢は26歳90日。2000年以降のフランス代表では最年少にあたる。フランス人たちは、このような元気いっぱいの若手選手たちとわだかまりなく交わる二人のリーダー、マクロン大統領とデシャン監督の姿から、「年老いた雄鶏」と揶揄されたかつてのフランス代表に対する嘲笑を忘れるに十分だった。

40代の二人の若いリーダー、マクロン大統領(1977年生まれ)とデシャン監督(1968年生まれ)は、政治とサッカーで世代交代を成し遂げ、若者たちに信頼を与えた。マクロン大統領は、フランスがアルゼンチンとの決勝トーナメント1回戦で勝利した後、デシャン監督に直接電話を入れ、「パバールが決めたゴールは代表チームの精神を如実に見せてくれた」と言い、「私のみたところでは、そのすべては監督の手柄だ。プライドを持つべきだ」と絶賛した。デシャン監督は22歳のパバールを含めて代表メンバー23人のうち14人を、代表に選ばれた経験がほとんどない選手たちでチームを組んだ。マクロン大統領が率いる政党「レプィブルリク アンマルシュ」(前進する共和党)は20、30代を大挙公認候補に立てたが、彼らが突風うを巻き起こして国会議員の平均年齢(48.6歳)を以前の国会より6歳も下げた。

二人はともに勝負への貪欲さと根気強さを見せた。先月6日、マクロン大統領がW杯開幕前に代表チームの練習場を訪問し、「我々は参加するために試合に出るのではない。勝つために出るんだ」と話した。プレッシャーを感じてもおかしくない場面だが、デシャン監督も「私は大統領の意見に同意する。競争は始まった。参加するために行くのではなく、勝つために行くんだ」と応酬した。

マクロン大統領とデシャン監督は、いくつかの共通点がある。まず二人は、エリートコースを歩み、失敗の経験が多くない。最高名門の国際行政学校(ENA)を出て30代に長官に抜擢され、大統領に上り詰めたマクロン大統領のように、デシャン監督は16歳の時から頭角を現し、24歳には欧州チャンピオンズリーグ(CL)優勝を経験し、1998年のW杯と2000年のユーロ選手権で優勝した後、43歳で代表監督になった。

デシャン監督はフランスを代表するアタッカーだったが、私生活が複雑なカリム・ベンゼマを代表チームから排除し、その代わりチームに献身的なオリビエ・ジルを選んだ。スタープレイヤーに頼ろうとせず実用的な戦略を練るのもデシャン流のスタイルだ。左右のイデオロギーのフレームを拒否するマクロン大統領に通じるところだ。デシャン監督は、個性の強い若手と黒人、アフリカ移民2世が混在する溶鉱炉のような代表チームで調和を生み出した。デシャン監督はW杯史上選手と監督として優勝を経験した3人目になった。


董正民 ditto@donga.com