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カンヌ映画祭の男女比は依然20対1

Posted May. 19, 2018 08:26,   

Updated May. 19, 2018 08:26

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2018年5月12日、第71回カンヌ国際映画祭が開催されるレッドカーペットの上で「性平等を促す行進」が行われた。今年の審査委員長を務めたケイト・ブランシェットをはじめ、アニエス・ヴァルダ監督、俳優のレア・セドゥ、クリステン・スチュワート、マリオン・コティヤールなどの女性映画人82人が参加した。

ケイト・ブランシェットは、「女性はこの世界で少数者ではない。しかし、映画産業の現状は違う。私たちの決断と進歩するという約束の象徴として、今日、この階段に一緒に立った」と語った。

82という数字の意味は、「82対1688」、つまり1946年にカンヌ映画祭が始まって以来、71年間、男性監督は1688人がレッドカーペットを歩いたのに対し、女性監督は82人だけが招待されただけだということを「行進」で証明したのである。男女比で言えば、20対1である。

世界の半分は女性なのに、この傾いて偏向した比率は、ほかならぬ「カーンの保守性」を裏付ける。71年間のカンヌ史上、女性監督が大賞である「パルム・ドール」を受賞したのは、ニュージーランドで生まれ、豪州で活動したジェーン・カンピオンが唯一である。1993年に彼女が作った「ピアノ・レッスン」は、チェン・カイコー監督の「覇王別姫」と共同受賞した。そのさえ出産のために、直接授賞式には出席できなかった。デビュー作からずっと「女性」を主人公に打ち出してきたジェーン・カンピオンの映画は、「スウィーティー」や「エンジェル・アット・マイ・テーブル」を経て、3度目の長編演出作である1993年の「ピアノ・レッスン」で世界的な名声を得ることになる。

ソウル都心の劇場で「ピアノ・レッスン」を観覧していた記憶が昨日のことのように鮮明である。6歳の時から「自ら」沈黙するようになったエイダと、世界との唯一のコミュニケーションの窓口である娘フローラとピアノ。流麗なカメラウォーキングとニュージーランドの荒涼とした海とジャングルのイメージ、マイケル・ナイマンの美しい音楽が調和をなして、19世紀の女性が自分の欲望とアイデンティティを探していく物語を、情熱的に描き出した。

あの時、三十になったばかりの若い女性観客の立場で、女性監督が描く男女間の性愛シーンが何よりもユニークに迫ってきた。自分の欲望を追って走って行くエイダの精一杯膨らんたスカートのすそをつかんですがる夫、スチュワートの姿も印象的だった。男性ではなく、女性監督の視線と見方が与えるシーン化の差別化要因が、あの時、私に格別に迫ってきた。

自ら話すことを拒んだエイダ役のホリー・ハンターの強情で青白い顔、彼女の私生児フローラ役をこなしたアンナ・パキンの演技も魅力的であり、非常に象徴化された保守的で男性中心的な夫・スチュワート役のサム・ニールと、原始的な男性性を維持したまま、彼女を愛したベインズ役のハーヴェイ・カイテルも一生に一度の演技を繰り広げる。

沈黙を捨てて語ることを学び始めたエイダの独白で終わるこの映画は、19世紀を生きた、静かで内密な女性の深淵に熱い生の自由意志のあることを卓越に具現する。

71年間たった一人の女性監督にパルム・ドールを抱かせたカンヌ国際映画祭の現場で、女性映画人「82人」が「性平等を促す行進」を行うパフォーマンスを見守りながら、私は自然に25年前にジェーン・カンピオンの「ピアノ・レッスン」が思い浮かんだ。女性は世界の少数者ではない。しかし、映画産業の中の女性は少数者である。韓国映画界も同じだ。この地の女性映画人たちを応援したい。


李沅柱 takeoff@donga.com