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不穏な精神

Posted March. 05, 2020 08:43,   

Updated March. 05, 2020 08:43

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いつの時代も「問題的」作家はいた。社会の通念やルールを破る作品で議論を起こすアーティストのことだ。16世紀のマンネリ美術を代表するエル・グレコがほかならぬそんな画家だった。聖書の物語を扱った宗教画を多く描いたが、彼の絵は教会と信者たちを不安にさせた。

ギリシャ出身のエル・グレコは、36歳にスペインのトレドに定着して全盛期を享受しながら、400点近い宗教画と肖像画を制作した。強烈な色彩、長く伸びて歪曲した人体、非凡なテーマのアプローチなど、彼の絵はあまりにも独創的であったが、当時の人々にとっては衝撃そのものだった。スペインの国王フェリペ2世が注文したが断ったこの絵は、聖マウリティウス聖人の殉教を描いている。3世紀の敬虔なキリスト教信者であり、ローマ兵士だった彼は、異教徒の儀式を拒否して処刑された。画面右側の兵士の群れの中の人物が、ほかならぬマウリティウスだ。チュニックの上に緑のマントをまとった聖人は、仲間の兵士たちと会話を交わしており、裸のままに斬首される最も劇的なシーンは、絵の左側に小さく描かれている。ところが、首が切られた遺体のすぐ後ろにひざまずいて祈っている男も、その横に立って彼を見つめる兵士も、皆同じ聖人である。

このように一つのシーンの中に同じ人物が4回登場しており、複数の時間が合わさっているので、当時の人々にとって非常に混乱とした異教徒的な絵と考えられた。反宗教改革の時期のスペインでは、信仰を鼓舞させる宗教画が奨励され、芸術も厳しい検閲と統制を受けた。したがって、この絵は、聖人への思いやりや畏敬どころか、「祈りたい気持ちを消えさせる」不穏な絵とみなされた。国王の拒否は当然なものだった。

当時、狂った画家だという声まで聞いたエル・グレコの作品は、逆説的にも、20世紀の美術に大きな影響を及ぼした。彼の晩年作「ヨハネの黙示録:5番目の封印の開封」は、パブロ・ピカソの「アヴィニョンの娘たち」に大きなインスピレーションを与えた。20世紀美術の代表作が、実は16世紀の宗教画と繋がっていたのだ。

美術評論家


キム・ソンギョン記者 tjdrud0306@donga.com