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ニイティの香り

Posted February. 05, 2020 08:12,   

Updated February. 05, 2020 08:12

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仏が生きた数千年前にニイティという人がいた。その人は除糞人夫、すなわち他人の家の便所を汲み取って生計を立てている人だった。当時、多くの人々は外で用便をし、裕福な人だけ屋外便所を持っていた。人糞を片づけて暮らしていたので、ニイティは賎民中の賎民だった。ところで、仏がそのような人を弟子に受け入れたのだった。仏の弟子になったということは、仏の教えを直接受けて実践し、供養も仏とともに受けるということを意味する。人々は驚いた。自分たちが仏に供養をすれば、大小便を汲み取っていたニイティまで供養を受けるのではないか。不満が暴走した。

すると、仏は彼らに言い聞かせた。私たちが軽く考えるアジュカリ(トウゴマ)の枯れ木も互いにこすれば火がつくほか、美しい蓮華も泥の中で咲く。人の高低は職業ではなく徳行によって決まる。外見だけで人を判断するなという教えだった。

仏はニイティから悪臭ではなく美しいことこの上ない内面の香りをかいだ。驚くことだった。目を開いて見ていられないほどみすぼらしい姿であるうえ、自分のみすぼらしい姿を仏に見せないよう避け、背負っていた便筒をこぼしたため、悪臭までする状況だった。にもかかわらず仏は、ニイティから香りをかいだ。仏は彼に、服が汚いからと心まで汚いのではなく、大小便から出る悪臭で心の香りは消えないので、恥ずかしく思わないでほしいと言った。そこで終わったわけではなかった。仏は、弟子のアナンダと共にニイティを川に連れて行ってきれいに洗い、弟子として受け入れた。仏の温かい言葉と行動は、ニイティが世の中で受けた侮蔑と傷、苦痛を取りはらうのに十分だった。

私たちの隣人や知り合い、さらに家族の中にもニイティはいる。私たちが彼らのみすぼらしい身なりと低い地位だけを見て、彼らの心から出る香りを匂えていないだけだ。

文学評論家・全北大教授