Go to contents

チャイコフスキーの涙

Posted November. 27, 2019 08:46,   

Updated November. 27, 2019 08:46

한국어

「私は旅行中にこの曲を構想しながらすごく泣いた」。チャイコフスキーが1893年2月、甥のウラジミール・ダビドフに送った手紙の中で話した言葉だ。その時に構想していた音楽が、彼の最後の曲となった交響曲第6番ロ短調だった。今「悲愴」という別名に通じる曲だ。

彼は同年10月28日、その曲を直接指揮して初公演を行い、9日後に死んだから、何が彼を泣かせたのか知るすべがない。53歳という早い年齢で死んだ理由さえはっきりしない。伝染病にかかって死んだという話もあり、性的指向に関する数々の噂と圧迫感のために自殺したという話もある。ただ確実なのは、作曲家の鳴き声と「悲愴」のダークトーンが無縁ではないこと。だからこの曲を正しく解釈するのは、彼が直面した心理的状況を何とか理解してこそ可能となる。指揮者の難しさはここにある。

世界的なチェリストから世界的な指揮者となったチャン・ハンナが、「悲愴」を解釈する際に、チャイコフスキーの嵐のような涙と当時に書かれた手紙に注目する理由はまさにそのためだ。彼女は音符一つ一つに、作曲家の情熱、苦しみ、希望、絶望が滲んでいると考え、自分を翻訳家に例える。作家の狙いを察して言語に移す翻訳家のように、作曲家の狙いを正しく探って音楽で再現することで、作曲家に奉仕するのが指揮者の役目だという。

チャン・ハンナが最近、ノルウェー・トロンハイム交響楽団を率いて韓国を訪れた。そしてチャイコフスキーが「悲愴」を作曲して流した涙と生活の最後の瞬間に感じた切迫な心を音楽に込めて、韓国聴衆に伝えようとした。それとともに、チャイコフスキーが音楽という形式に投影した悲しみと聴衆が感じる存在論的悲しみが共鳴を起こさせた。チャン・ハンナが本当に渾身の力を尽くして再現する音楽を聴いて、誰かは胸が痛みながらも慰められたのかもしれない。悲しみで悲しみを慰められるというべきか。音楽が持つ変わらない機能の一つだ。