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実力ではなく、色がないのだ

Posted November. 15, 2019 08:36,   

Updated November. 15, 2019 08:36

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野球のプレミア12で韓国が台湾に敗れた瞬間、無数のため息が出た。0-7の完敗を喫したのだから、尚更絶望的だった。2008年の北京五輪金メダル、2009年のワールドベースボールクラシック(WBC)2位、2015年プレミア12優勝と数々の名勝負が走馬灯のように浮かんだ。数年も経っていない記憶だ。今も余韻があるのに、韓国野球はなぜ急速に退歩したのだろうか。

実力が衰えたからだと言う。そうかもしれない。しかし、選手たちの技量は当時と大きく変わっていない。メジャーリーグを経験したり、進出しようとする選手たち、そのレベルに近い国内組選手たちでメンバーが構成された。しかも当時にも韓国代表の技量は、相手を圧倒していなかった。むしろトップレベルのチームとの差があった。実力だけで言うと、国際大会優勝は最初から不可能だったかもしれない。

実力が退歩の本質でなければ、何が問題か。カラーだ。当時、韓国野球は「辺境」だったが、韓国ならではのジャンルで挑戦状を突き付けた。外ならぬ「クロスオーバー」(ジャンル間の融合)だった。米国のビッグボールと日本のスモールボールをミックスした。これに執念やチームワークなど韓国的情緒を加味し、独特のカラーを生み出した。時には常識を拒否し、型破りも厭わないチャレンジャー精神まで。欧米の文化を韓国人の感性で再解釈し、新しいトレンドを作り出した韓流と、色々な面で似ている。

ジャンルの力は、「辺境」の野球を世界の主役に作り上げた。米国のようにパワーがあって単線的なチームには、力で粘っては精巧さで制した。日本のように細かいプレーをするチームには精巧さで守っては一瞬のパワーで勝負を決めた。状況と相手に応じて、パワーと小技を自由自在に使い分けた。勝利への執念やチームワークも素晴らしく、相手が舌を巻くほどだった。WBCで、米国の主流メディアは「韓国はすべてを見せてくれた。米国の高校野球チームが見習うべきだ」と報じた。

いま世界の高校生たちはKポップに沸いているが、海外の球児たちに韓国野球は眼中にない。韓流は支持層を拡大し、完成度を高めてきたが、野球は持っていたカラーさえ失ってしまった。昨年のアジア大会もそうだったし、最近の代表戦を見ると、ただ負けないためにもがいているだけだ。パワーと技を使う上で戦術を欠いている上、型破りもなく、執念もない。カラーも特徴もない状態で勝負した。韓国野球は何なのか、答えようがなかった。

野球人たちは、5年前のプロからカラーを失い始めたと指摘する。チーム数が増え、年俸が大幅に上がったが、ジャンルを高度化する必要を感じることができなかったからだと批判する。メジャーリーグに傾倒し、米国式の自主練習プログラムを無闇に導入したからだ、とも分析する。ユース選手たちが投手だけに集中する不均衡ではジャンルを築くのは困難になったと言う。要因は複雑だろうが、ジャンルについての詮索が欠けているのが、最も大きいように見える。

韓国野球の人気は、国際大会の成績と密接に連動している。800万人を突破し、史上最大の好況をおう歌した背景にはWBCや五輪、プレミア12などでの善戦がある。ところが、その効果が消えつつあった昨年のアジア大会では兵役問題をめぐる議論まで重なった。今年は800万観客が崩壊した。急速に墜落している。

プレミア12が終盤に向かっている。今にでももう一度問いかけてみよう。私たちは、どんなカラーで勝負するべきか。この問いに対する答えに、今大会の成績と、来年の東京五輪出場、そして我々のプロ野球の未来がかかっている。バットと今暫し降ろしてでも、考えてみよう。


touch@donga.com