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「ECM音楽から受けたインスピレーション、設置作品を通じて解釈しました」

「ECM音楽から受けたインスピレーション、設置作品を通じて解釈しました」

Posted October. 18, 2019 15:02,   

Updated October. 18, 2019 15:02

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レコード会社の中にも高級ブランドがある。1969年、ドイツのミュンヘンでスタートしたレコード会社ECMは、キース・ジャレット、パット・メセニー、ヤン・ガルバレクなどのジャズの巨匠たちのアルバムを、ユニークな視点で制作した。アルヴォ・ペルトのような現代音楽家の作品をはじめ、クラシック、民俗音楽までを出した。抽象画のような写真作品で作った表紙でも有名だ。

ECMの心臓が数ヶ月、ソウルで脈打つ。今日から来年2月29日まで、現代(ヒョンデ)カードがソウル龍山区(ヨンサング)の「ストレージ」で開くECM創立50周年記念展示「RE:ECM」のおかげだ。開幕前日、今回の展示を共同総括した韓国人チョ・ンソン氏(37)に会った。彼はECMの音楽プロデューサーだ。ECMの創設者マンフレート・アイヒャー(76)が個人的事情で訪韓できない中、彼はECMを代表してきた。

「これまでECM関連公式展示はミュンヘンをはじめ、中国上海、ソウル(2013年)などで数回開かれたが、今回のような展示はありませんでした。今回の展示のために、世界の作家たちがECMの音楽から受けたインスピレーションを、新しい作品で解釈しました。その過程は、ECMのレコード制作態度と通じるものがあります」

指揮者鄭明勳(チョン・ミョンフン)氏の次男でもある彼は、2012年、ECMに入社した。ジャズギターと作曲を専攻後、ジャズドラマー・ビリー・ハートの録音現場に見物に行った時、ECMの創始者アイヒャーに会ったことで事が進んだ。現在アイヒャーを除けば、ミュンヘン本社所属のECM音楽プロデューサーはチョン氏だけだ。

「アイヒャーから先日、このようなことを言われました。『私にとって録音スタジオは、ほかならぬ寺院や教会と同じだとね。聖殿ですね』。そばで見守っていた彼にとって、音楽は情熱を超えて、最初から存在理由だったんです」

鄭氏は、「マンフレートがいる時といない時の録音は、その結果物が完全に違う。彼が演奏者たちに『山の上に吹く風を想像しなさい』のような話をささやいた後は演奏が変わる」と舌を巻いた。

鄭氏の役目も増えている。彼が昨年プロデュースした米国ドラマー・アンドリュー・シリルのアルバム「Lebroba」は、ニューヨークタイムズ、ビルボードなど複数のメディアが絶賛した。25日発売の英国鍵盤奏者キット・ダウンズの新作も、彼が手掛けた。鄭氏は、「アルバム全体を一つの長い曲のように聞こえるように、事前制作段階から大きな絵を描いてみた」と話した。

大きな山のような父親から彼が受け取った遺産があるなら、どのようなものだろうか。

「勤勉と率直さです。父は毎日午前4時に起きて、ご飯を食べる時間を除いては終日楽譜を見ています。『一介の指揮者が、なぜそれほどの巨額を受け取るのか』という方もいますね。しかし、父をそばで見守っていれば、そんなことは言わないでしょう。私が見たすべてのミュージシャンの中で、最も率直で誠実な人です」

幼い時は鄭明勳、社会に出てはマンフレート・アイヒャー。ひどいほど仕事中毒の巨匠たちと生涯を一緒に過ごしたわけだ。彼は「大きな負担であり、ものすごい幸運だ」と話した。

「もし明日から私がブルーノート(米国の有名ジャズレコード会社)に出勤すれば、決して同じように働くことはできないでしょう。ECMならではの録音秘訣は、聞く人を演奏観点に置くことから始めます。一台のピアノ演奏でも、低音は左、高音は右スピーカーに配置するやり方ですね」

鄭氏は、「今回の展示の中で最も特別な点も、同じくECMの観点ではなく、ECMを愛する人の視点から作られたということだ」と笑った。

「観客の方々も、その観点から思う存分楽しんでいただきたいと思います」


イム・ヒユン記者 imi@donga.com