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アテネの城壁

Posted October. 01, 2019 09:09,   

Updated October. 01, 2019 09:09

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筆者は現在、ギリシャを踏査している。今日はアテネ民主主義の発祥地ともいえるプニュクスの丘に上がった。プニュクスの丘は、パルテノン神殿があるアクロポリスと道一つを挟んで西側にある丘だ。アテネの民主政治と関連した二つの重要な遺跡がある。一つは、民会が開かれた広場だ。ソロンからペリクレス時代まで、民会の権限は拡大を続けた。主な政策と法律の議決権を持っており、政務官、将軍を選出した。後は、裁判も行い、陪審員制度も導入した。陶片追放が行われたところも民会だった。

もう一つは、アテネからピレウス港まで繋がった城壁だ。テミストクレスはラウリオン銀鉱から出てきた収益を市民に分配する政策に反対して、港や艦隊、城壁に投資させた。城壁遺跡は何とか残っているが、頑丈でレベル高い城壁だった。内的団結と国防力は、この二つがアテネをペルシャの侵略から救い、ペリクレス時代の全盛期を開いた。

もう一つの要因は経済復興だった。テミストクレスは農業国だったアテネを、海上貿易国に変えた。この時、アテネが海上貿易国のお手本としていたところが、アイギナ島だった。プニュクスの丘から見ると、この島は手に取るように近くに見える。これは衝撃だった。アテネは、結局アイギナを押し出して海上覇権を掌握するが、最初はかなり迷った。アイギナに良心の呵責を感じたからではなかった。過去の生活習慣への未練を捨てきれなかったからだった。これも信じられないことだが、アテネ周辺はヤギしか生息できないほど、過酷な岩だらけの土地だ。それにもかかわらず、しかもすぐ目の前に成功事例があるにもかかわらず、アテネは迷った。これだけ人間は保守的で、自分の経験、先入観からなかなか抜け出せない。テミストクレスが偉大なのは、将来を正確に予測しただけでなく、大衆の先入観、習慣と戦って勝ったからだ。それこそ真の指導者の使命だ。



キム・ソンギョン記者 tjdrud0306@donga.com