Go to contents

スケトウダラはいつ帰ってくるだろうか

Posted September. 20, 2019 08:21,   

Updated September. 20, 2019 08:39

한국어

韓国人が20世紀以降、最も多く食べた魚は何だろうか。東海(トンへ)のスケトウダラと西海(ソヘ)のイシモチだ。家ごとに違うだろうが、今回の秋夕(チュソク、陰暦8月15日の節句)のお供え膳におそらくスケトウダラとイシモチを用意しただろう。スケトウダラは干し明太やチヂミで、イシモチは焼きや蒸しにして供えただろう。昔からお供え膳には、その地域で簡単に入手できる魚を主に供えた。それほど、スケトウダラとイシモチがありふれていた。しかし、韓国の海から突然スケトウダラが消えた理由はどこにあるだろうか。

東海岸の漁業文化を調査したある日、網の手入れをしていた60代や70代の漁民と談笑を交わした。かつてはどんな魚をたくさん捕まえたのかという質問に、漁民たちは異口同音にスケトウダラだと答えた。「あの時はスケトウダラのために野山にクズの蔓がありませんでした。村ごとにスケトウダラを乾燥するための干場があったが、今のようにナイロンの縄がなかったので、クズの蔓に通して乾かしましたから。1950年代までは、各港にスケトウダラ漁の帆船でいっぱいでした。高城(コソン)、束草(ソクチョ)から三陟(サムチョク)まで、浜辺の人たちはことごとくスケソウダラのおかげで生計を立てることができました。分断前は、1、2月に帆船に乗って三陟から咸鏡道(ハムギョンド)まで上って、スケトウダラを取りました。帆船1隻に7、8人が乗ったが、それぞれ自分の二幅ずつの網を持って乗りました。本人の網にかかった分だけ持っていく方式でした」。漁民たちはスケトウダラの思い出を休むことなく吐き出した。

あれほど多く水揚げされていたスケトウダラがなぜ消えたのか、という問いに、我先に各自の見解を出した。海女作業船を運行するイ氏は、「1970年代や80年代にはスケトウダラよりノガリ(明太子)を多く捕獲しました。当時は異なる種の魚だと思いました。ノガリを無作為に漁獲したため、絶滅してしまったんですね」と話した。刺網漁船船主のパク氏は、水温の上昇を一番の原因に挙げた。タコかご漁をするイ氏は、中国漁船による北朝鮮海域での独占漁業のせいだと主張した。

実際スケトウダラが消えた理由を、水産業界では稚魚の乱獲や水温の上昇など、複合的要因と見ている。国立水産科学院によると、1980年代にはスケトウダラを年間10万トン以上捕まえたが、1990年代から1万トン前後に激減した。2000年代はさらに深刻で、2005年は25トン、2008年は公式の漁獲量が0と記録された。かつては「明太は犬に持っていかれても、気にしなかった」というが、今は「スケソウダラが絶滅した」という言葉が現実となった。これを受け、国立水産科学院では、生きているスケトウダラ一匹に対して、最高50万ウォン支給という懸賞金ポスターを製作して、受精卵の確保に乗り出したこともある。刻苦の努力の末、2016年10月に、世界で初めてスケトウダラの完全養殖に成功した。これにより、近年スケトウダラの稚魚を放流している。それでも東海を埋めつくしていたスケトウダラを再び目にできるかはまだ分からない。一度破壊された水産資源が回復するためには、刻苦の努力と時間が伴わなければならない。

「内臓はチャンランジョッ(スケトウダラの腸の塩辛)、卵は明太子/えらで作った鰓の塩辛/目玉は焼いて酒の肴にし/肉は煮て食べ/どれ一つ捨てるもののないスケソウダラ」という歌詞のように、どれ一つ捨てるもののないスケソウダラの帰還を心待ちにしてみる。