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悲しい母乳

Posted August. 21, 2019 09:46,   

Updated August. 21, 2019 09:46

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詩集の真ん中を広げれば、二本の詩がお互いに向き合っている。左側には「とあるピエタ」が、右側には「悲しい母乳」がある。一つは、詩人の悲しみを、もう一つは、チリの女性の悲しみを表現した詩だ。「私」の悲しみと他人の悲しみの絶妙な配置。ナ・ヒドク詩人の詩集「ファイル名抒情詩」のことだ。

左側の詩「とあるピエタ」は、父の死と関連して詩人の苦しい心を吐露する。よりによって娘が生まれた日にこの世を去った父。生と死が「一つの種から」「二つの双葉のように生えた」日である。父が、自分が生まれたときに受けて抱いたように、中年になった娘は、父親の遺体を受けて抱く。いったい「これは何のピエタか」。詩人は苦しみながら尋ねる。

右側の詩「悲しい母乳」は、他人の苦しみに関する詩である。もっと正確に言えば、2009年のベルリン映画祭で金熊賞を受賞したチリの映画「悲しい母乳」に関する詩である。スペイン語の原題は、「おびえた乳首(La Teta Asustada)」であるが、英語に翻訳される際、柔らかい語感の悲しい母乳に変わった。

しかし、原題が映画の中核にはるかに近い。ピノチェト独裁政権下で、政府軍に無慈悲な性的暴行を受けた女性たちが感じたはずの恐怖とパニックを比喩ではなく、生のもので伝えるためである。

正常的な状況下であれば、子供は母親の乳から愛を受け継ぐだろうが、パウスターは、性的暴行を受けた母のおびえた乳から、恐怖と迷信とトラウマを受け継ぐ。彼女が、「道に漂う魂に連れていかれることを恐れて/壁に向かってくっついて歩き」、男の近づきを遮断したいと、体の中にジャガイモを入れた理由だ。彼女は恐怖が押し寄せてきたら、母親がそうしたように歌を歌う。それがすべてだ。

詩人が自分の悲しみと異国の女性の悲しみを並べた理由は、死んだ母親から譲り受けた恐怖を歌で乗り越えようとするチリの女性から、父を失った悲しみを詩で乗り越えようとする自分の姿を見たからかもしれない。悲しみの連帯とでもいうだろうか。