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「鬱陵島を侵入した日、巨木を無造作に略奪」

「鬱陵島を侵入した日、巨木を無造作に略奪」

Posted July. 17, 2019 09:05,   

Updated July. 17, 2019 09:05

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「木片や茎に残っている斧の痕跡が、日本人の略奪行為を証明していた。麓から頂上まで巨木に覆われていた山々が、今では日本人の斧によって徐々に崩れている」

1903年9月初め、ロシアの軍事輸送艦ヤクート号に通訳として同乗し、鬱陵島(ウルンド)を調査したレベジェフ(当時ウラジオストク東方大学3年生)の鬱陵島調査報告書だ。大韓帝国は1900年、勅令第41号を出して鬱陵島島監を郡守に格上げして、日本人の鬱陵島不法居住や森林伐採を根絶しようとしたが、被害は依然深刻だった。報告書は、「大人の両腕の長さの5倍もある巨木を見つけることができない」とし「谷に放置された巨木の切り株から、日本人が略奪した痕跡を見ることができる」とした。

キム・ヨンス北東アジア歴史財団独島(トクド)研究所研究委員(教育研修院教授)は、日本とロシア帝国が鬱陵島と独島をどのように見て侵略しようとしたかにスポットライトを当てた研究書「帝国の二重性:近代独島をめぐる韓国・日本・ロシア」を最近発刊した。キム研究委員は、「帝国は自国の水産業者、商人の経済活動と利権を庇うと同時に、彼らを軍事的侵略のツールとして活用した」と明らかにした。

ロシアは1896年、鬱陵島の森林伐採権を獲得し、日露戦争に備えて東海(トンへ)の戦略拠点として注目した鬱陵島の森林と地形を複数回調査した。1903年、ヤクート号の調査もその一環だった。

レベジェフは、鬱陵島で韓国人と不法居住している日本人の極端的な対立も記録した。報告書には、韓国人2500人、日本人180人程度が鬱陵島に住んでいるとし、「日本人は韓国人を見下し、武装した日本人2、3人が韓国人の家に現れて、家財道具を自分のもののように扱って暴力を奮った」と書かれている。日本は道洞港(トドンハン)に不法に警察署まで設置していた。

レベジェフはまた、「日本人は弾丸がおらず、韓国人に立ち向かえなかった。日本人は韓国人の家を通るとき、韓国人と目を合わせることなく、頭を反対側に回した」と記録した。キム研究委員は、「不法伐採を遮る韓国人を追い出し、鬱陵島を完全に占領したかった日本人の内心が捕らえられた部分だ」と説明した。

日本が独島を領土に編入したと主張する1905年の「島根県告示40号」が公式告示されたという証拠はないと見た。島根県庁は、1945年8月、県庁舎が全焼したとき、告示40号の原本が消失したと主張する。キム研究委員は、「告示40号のコピーは、筆記体であるカバーとは違って印刷体であり、県知事の判子署名もおらず、県知事は通知が行われたと主張する1905年2月22日に先立って、19日から3月1日まで東京出張で不在だった」とし、「告示コピーがねつ造された可能性がある」と明らかにした。


趙鍾燁 jjj@donga.com