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映画「パラサイト」の英語字幕と韓国文化の世界化

映画「パラサイト」の英語字幕と韓国文化の世界化

Posted June. 21, 2019 07:27,   

Updated June. 21, 2019 07:27

한국어

ソウル市の公務員として勤めるなら、常に言葉に気をつけなければならない。相談者に接する時は常に責任を負えることだけを話さなければならず、報告書を書く時は曖昧でなく明確に書かなければならない。この仕事をして、多くの語彙や用語を学んだ。わざと忘れた単語もあった。ソウル市で、外来語純化キャンペーンを推進しており、自分に使いやすい外来語ではなく、韓国語で表現しているためだ。

韓国人は、英語で表現することを好むようだ。カフェや祭りの名前、広告、看板、企業のスローガンなど韓国の街頭で英語は難なく目にできる。しかし、英語が母国語の外国人が見ると、何の意味なのか理解できないことが多い。文法や語彙がぎこちないだけでなく、韓国語を音の通りにローマ字で表記したケースもある。さらにひどいことは、子どもも着るTシャツにスラングや不適切で不快なわいせつな言葉を簡単に目にするということだ。

最近、このような現象が少しは変わるのではないかと思わせるニュースに接した。話題になっているカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した奉俊昊(ポン・ジュンホ)監督の映画「パラサイト」の英語の字幕だ。これまで韓国映画にも英語の字幕はあったが、なぜ特に今回の字幕の役割が大きかったのだろうか。

パラサイトの字幕はとても簡潔で文脈上の要点を正確に伝えている。例えば、カカオトークを英語圏では馴染みのメッセンジャー、ワッツアップにかえることで、英語圏の観客が台詞を実感できるようにする。言語は本能に近い感覚なので、一段落あるいは一文を読むだけでも、外国人が書いたのか、ネイティブスピーカーが書いたのか、あるいは英語が上手な韓国人が書いたのか分かる。映画のように現実に基盤を置くフィクションの芸術や本のように文を基盤としている媒体は、入り込むためにネイティブスピーカーの監修が絶対的に必要だ。

「パラサイト」の字幕には、韓国映画に情熱を持つ米国人のダルシー・パケット氏がいた。パケット氏の初めての韓国映画のレビューを見たのは、2000年代初めと記憶する。他のリビュアーと比較してパケット氏のレビューは、論理的で一貫性はあるが、特別ではなかった。しかし、パケット氏は韓国映画への情熱を持ち続け、会うたびに専門的になっていることを感じた。今は、釜山(プサン)で映画を教えている。パケット氏は、「パラサイト」の字幕を作り、台詞の一つ一つを苦心して翻訳し、どうすればもっと自然に英語で表現できるか何度も検討した。

 

映画を例に挙げたが、あまり知られていない、このように情熱的に活動する外国人は、韓国の伝統家屋を愛するロバート・ファウザー教授をはじめ多くいる。実際、韓国ブログのコラムニスト5人も、この中に含めても無理はないだろう。そして、ここに韓国文化を伝える秘密が隠されている。

映画の字幕をはじめとする本など韓国文化に接することができるコンテンツは、ネイティブスピーカーの監修どころか、ただローマ字で書いているだけのことが多い。英語のように見えれば満足する人もいるようだ。監修を頼んでも、韓国語が上手でない人に頼むのが大半なので、良い英語になっていても、韓国語の原文と一致しないことが多い。

ハングルで書かれていても、文法と意味が合っていなければ理解できないように、ローマ字で書かれていても理解できなければ外国人に意味を伝えられない。韓国文化を伝えると使命感で作ったかもしれないが、韓国文化に恥ずかしい文も多く、いっそそのような字幕や本は作らないのがいい。

韓国で暮らす外国人の中には、韓国が好きで暮らすことを「選択」した人は少なくない。毎年ビザを更新する苦労も厭わない。彼らは、韓国を理解し、文化を愛し、単純に箸を上手に使い、キムチをよく食べる外国人ではなく、韓国と世界をつなぐ架け橋になることができる。外国人だからと韓国のことは分からないと拒絶するのではなく、彼らが思う存分韓国文化について語り、才能を伸ばせるよう助けてはどうか。むろん、監修を頼んだなら、適切な費用を払うことは常識だ。