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400年間朝鮮陶工の魂を守った窯元…14代沈寿官氏が死去

400年間朝鮮陶工の魂を守った窯元…14代沈寿官氏が死去

Posted June. 18, 2019 08:30,   

Updated June. 18, 2019 08:30

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日本の薩摩焼の窯元である14代沈寿官(本名・大迫恵吉)氏が16日、肺炎のため死去したと、現地メディアが17日付で報じた。92歳だった。

沈氏は、1598年の慶長の乱の時に朝鮮から連れてこられた沈当吉の末裔。薩摩(現鹿児島)藩に属し、士族の待遇を受け、代々陶磁をつくってきた。約400年間、作ってきた「薩摩焼」は、日本の陶芸の代名詞となった。鹿児島伝統のガラス細工に学び、透明感を出す新たな技法を生み出したと、読売新聞は評価した。

明治維新の時、12代沈寿官の業績を称え、その後子孫がこの名を継承している。故人は1964年に14代を襲名した。99年には長男の一輝さんに15代を襲名させた。

故人は、早稲田大学政経学部を卒業した。韓日文化交流に尽力し、89年に韓国政府から名誉総領事に任命され、99年には韓国銀冠文化勲章も受章した。2008年には故郷の全羅北道南原(チョンラプクト・ナムウォン)の名誉市民になった。朝日新聞は、「薩摩焼を通じた日韓の文化の橋渡しにも積極的に貢献」と伝えた。

故人は、朝鮮陶工の望郷を扱った司馬遼太郎の1964年作の小説「故郷忘じがたく候」に主人公として取り上げられ、日本国内でも広く知られることとなった。

東亜(トンア)日報が2017年11月、故人をインタビューした時、父親の遺言を守ったことを誇らしく語った。父親の13代沈寿官は京都大学法学部を卒業した後、陶工となった。父親が1964年に亡くなる時に残した遺言は、「98年にはここに来て400年だ。その時を頼む」という言葉だった。

故人は、「朝鮮の火種」を鹿児島県宮前に持ってきた。98年に南原でとった火種を持ってきて、日本の土と技術で陶磁をつくった。その時の火種は今も宮前で生きている。

さらに帰郷展示会がある。一度も鹿児島から出したことがなかった収蔵庫の陶磁は、98年7月、東亜日報の一民(イルミン)美術館で開かれた初の海外展示会で紹介された。当時、「400年ぶりの帰郷―日本中に花を咲かせた沈寿官家の陶芸展」は約5週間続き、約5万人が来館し、大盛況だった。

故人は、70年の大阪万国博覧会など国内外での展示会に出品し、焼ものを紹介した著書などを通じて、薩摩焼の普及に尽力した。98年に鹿児島県で開催されたイベント「薩摩焼400年祭」では実行委員会メンバーとして企画案から加わった。

葬儀は鹿児島県鹿児島市の吉田葬祭。告別式は19日午前11時。


東京=パク・ヒョンジュン特派員 lovesong@donga.com