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生きる殉教

Posted June. 12, 2019 07:41,   

Updated June. 12, 2019 07:54

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「母さんがいなくなったら、天が張り裂けんばかりに泣きなさい。泣いて、お前が生きていることを知らせるのです。そうやってお前は生きるのです。その泣き声を主は聞き入れます。聞く耳のある人も聞きます。きっと人情が働きますから」。作家、キム・ソユンの小説『ナンジュ』に出てくる文だ。子供を引き離す母親は、丁若鉉(チョン・ヤクヒョン=茶山・丁若鏞の兄)の娘、ナンジュであり、子は1801年の辛酉教獄の時、斬首刑にあったカトリック教徒である黃嗣永(ファン・サヨン)との間で生まれた1才の息子である。

辛酉教獄は帛書事件が発端となった。帛書は、黃嗣永(ファン・サヨン)が宗教弾圧と関連して北京の司教に送るために絹布(帛)に書いた密書だ。この事件によって黃嗣永(ファン・サヨン)は冷酷無惨に殺され、奥さんは奴隷となる。彼については知られているが、奴隷となった奥さんについて歴史は沈黙する。英雄の座は男のものだからだ。

しかし、小説はそこに注目する。夫とは違って奥さんには、信仰を守るため命を捨てる殉教が贅沢にすぎなかった。決して信仰がないからではない。1才の子がいたからだ。背教、つまり宗教を裏切って命乞いをしてでも、赤ん坊を守りたかった。彼女はイエスの母を思いながら慰めを覚える。「マリアも乙女の体で受胎したイエスを喜びのうちに産み、我が子の最期まで黙々と見届けたではないか。」ナンジュの選んだ道は「生きる殉教」だった。

彼女は奴隷となり済州島(チェジュド)に流される時、北端の島、楸子(チュジャ)群島に船が停泊すると、砂浜に植えてあった松の木に我が子を縛っておく。「天が張り裂けんばかりに泣きなさい。」誰かに見つけられ、我が子は良民として生きられるようにしたい母親の計らいだった。そうでないと、子供は奴隷になる。奴隷は代々受け継がれるためだ。

彼女は済州島で37年を奴隷として生きるが、信仰の教えに従って身分の低いものたちに献身的に仕えながら生きた。しかし、楸子群島に捨てた息子には二度と会えなかった。しかしながら、小説では老年の彼女が息子に再会し、一緒に生きる。せめて小説の中、彼女の心の傷や蟠りを解消させてあげたかった作家の気持ちからの想像だ。このとき、小説は一種の弔いの形になる。