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支配より苦しみを

Posted June. 05, 2019 07:43,   

Updated June. 05, 2019 07:43

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詩が読まれなくなった時代にも多くの人に愛され、米国の国民詩人と言われるウォルト・ホイットマンやR・フロストの詩よりも売れている詩集がある。13世紀、ペルシャ詩人ルーミーの詩集「精神的マスナヴィ」だ。ルーミーの詩に世界の読者が大歓声を上げるのは、そこに知恵と愛、慰めがあるからだ。マスナヴィの第3巻にある逸話がそれを物語っている。

ある男が一晩中、悶えながらアラの神を呼び求めていた。耐え難い苦しみと悲しみの中にいたからだ。その姿を見て、悪魔が言った。「静かにせよ。いつまでうだうだしているのだ。そうやって呼んだら天から‘ここにいるよ!’って答えが聞こえるとでも思うのか」。すると、彼は絶望してうなだれた。まさにその通りだと思われたのだ。

しかし、いつの間にか天使が現れ、アラのメッセージを伝える。天使曰く、男が知らないだけでアラの神はすでに男の祈りに応えている。つまりこういうことだ。彼がアラを呼び求め、苦しみを訴えている間、アラは彼の祈りの中にすでに入っていた。苦しみと訴えは自ら便りとなってアラに知らせていたのである。祈りはそれ自体、神の応えであり、「あ、アラ神よ!」という叫び自体、神の「私はここにいる!」という答えなのだ。神は遠いところにいる存在ではなく、悲しみ苦しんでいる人間のそばで共に悲しみ、共に苦しむことで人間の祈りに応える存在であるということだ。だから絶望することなく、気付かないうちに人間を慰めている神の存在を忘れるな、という伝言であった。

ルーミーは、「世を支配するより苦しむ方がマシだ」と言った。支配者とは違って、苦しんでいる人間は乾き切った心で神を呼び求める特権が与えられているというのだ。

わかりそうでわからない、矛盾があるようにも思える話だが、少しばかり慰められるのは確かだ。神を人間側に近寄らせる苦しみ、皮肉にもルーミーはその苦しみの中から慰めと癒しの光を求めた詩人であり、哲学者であった。数百年経った今でも彼の詩が訴える力を持つ所以である。