Go to contents

フリードリヒ大王の外交術

Posted May. 21, 2019 10:29,   

Updated May. 21, 2019 10:29

한국어

1740年5月30日、ドイツを欧州の強国にしたプロイセンがドイツを統一する基礎を築いたフリードリヒ2世が国王に即位した。同年10月、オーストリアではカール6世が死去して娘のマリア・テレジアが王位を継承した。同年12月、フリードリヒは突然、オーストリアのシレジアを侵攻した。オーストリア王位戦争であり、7年戦争、次の世代のナポレオンの征服戦争まで続く世界大戦の始まりだった。

王子時代、フリードリヒは軍事訓練を嫌い、学問と文学と芸術を愛した進歩的な王子だった。そのため、彼が即位してすぐ侵略戦争をしたことに欧州は驚いた。しかし、この驚きは何でもなかった。この侵攻の次に起こる7年戦争で、この「文学青年」は驚くべき戦術と軍事的見識で世界を驚かせる。大王が死亡した後、フランスの天才軍事家ナポレオンは、プロイセンを征服し、フリードリヒ大王の墓を訪れた。墓の前で、ナポレオンは部下を見回して言った。「諸君、帽子を取って敬意を表すように。この方が生きておられたら、私たちはここに来ることもできなかった」
 
フリードリヒの軍事的能力は、銃声のない戦争、外交でも卓越した。シレジアに向かって進む時、フリードリヒはフランスと共感が全くなかった。しかし、フランスがプロイセンと歩調を共にするだろうと判断し、フランス王の使節にこのように話した。「私たちはあなたたちのために戦いに行く」。フリードリヒの予測どおり、フランスは参戦した。フリードリヒは利権という立場で外交を見、先にカードを奪取した後、相手が示す反応を予測して行動した。このような姿勢が彼を「近世ドイツの大王」にした。

最近、ロシアに対する北朝鮮の求愛が挫折に終わるのを見た。北朝鮮がロシアに与える利益が何もない。あるとしてもそれによる損失を補填できない。ベトナムでの米国との外交の失敗に続くさらなる惨事だ。北朝鮮はフリードリヒ大王の外交を参考にすべきではないだろうか。