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傷は弱い時にできる

Posted May. 15, 2019 08:54,   

Updated May. 15, 2019 08:54

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時折り、予期しなかったところで歴史の傷と向き合うことがある。フランスのベストセラー作家で海軍将校だったピエール・ロティの自伝小説『お菊さん』は良い例だ。この小説の英語版のタイトルは『Japan and Corea: Madame Prune』だが、タイトルが暗示するのとは違って、240ページのうち韓国に関する部分は20ページにすぎない。それでも小説は、韓国の歴史の痛い傷を喚起するのに不足はない。

ロティがソウルを訪れたのは1901年6月だった。彼はフランス海軍提督と共に高宗(コジョン)皇帝を訪れ、ソウルに数日間滞在した。そして、その経験を記録に残して小説の一部とした。朝鮮は、ロティの目には「死につつ」あった。そのせいか、彼はソウルに立ち並んだ家を見て、その姿が巨大な墓地のようだと考えた。一つの国の首都を墓が終わりなく続く墓地と考えるとは行き過ぎだが、ロティは朝鮮の運命を取り巻く暗く沈鬱なムードをソウルの空気から感知したようだ。

歴史的洞察力の鋭利さと違って、彼は文化的認識においては鈍く、傲慢で無礼だった。高宗と皇太子(純種(純宗))が設けた宴会で聞いた朝鮮の音楽をフランス軍楽隊の力強い音楽と比較して、「不吉などなり声」と認識し、軽業師の合唱を遠くで聞こえる草むらで鳴く「虫の楽しい合唱」に聞こえると言ったことが代表的な例だ。彼の目には、朝鮮の舞踊家が踊る姿も、古く、欺瞞的で退屈だった。それだけでなく彼の目には朝鮮の「全てが不合理で予測不可能」だった。ロティは、西洋の傲慢で歪んだ視線で東洋を見下した典型的なオリエンタルリストだった。

そのように歴史の傷が露呈する時、心に刻まなければならないことは、私たちの力が弱い時に傷ができるという平凡な事実だ。文化の力、国家の力が強くなければならない理由だ。その力が弱まれば、傷はまたできる。歴史の中の傷を見つめて省察することが、苦痛だが必要な理由だ。

文学評論家・全北大学教授