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人相見より心

Posted December. 03, 2018 08:44,   

Updated December. 03, 2018 08:44

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「私は『人相の良い人( 好相人 )』よりも、『心の良い人(好心人)』になるべきだと決心した」-金九(キム・グ)、「白凡日誌」

白凡・金九先生は1892年、科挙に受験したが、売官売職で堕落していた当時、科挙制度で合格するはずがなかった。父親は失意に陥ていた白凡に、人相見や風水について勉強するように勧めた。白凡は人相見学の土台である麻衣相書を勉強し、鏡に映った自分の顔を見た。「どれ一つ貴格や富格の良い相はなく、全身に賤格や貧格、凶格)しかない。科挙の場で得た悲観から抜け出すために人相見に関する本を勉強したが、むしろ科挙の場異常の悲観に陥ってしまった」

白凡の山根(鼻梁と二眉の間)は、切れたようにくびれて福禄とは程遠く、印堂(両目の間の中間点)は、あばたとしわで雑然としていて故郷を離れて暮らす。鼻と口は大きいのに対し、目が非常に小さく愚かで短気である。耳殻が丸くなく、くずれているので家計を重視しない性格だ。髪と額の境界がきれいではなくでこぼこなので、反骨で不満が多く、あれこれ賤格と言える。小鼻がなく鼻柱だけが高いので、押し通すだけで、集める力が足りず貧格である。頬骨と鼻が大きくて顎が短く、プライドだけが高くて晩年に弱い。凶格である。難産の腕白と死刑守、投獄、流浪、逃亡、亡命、暗殺まで、実際に彼の一生は波瀾万丈だった。

しかし、心で人相見を克服した。ただ一つの願いである「大韓の自主独立」のために生きてきた白凡の意志は、彼を賤格、貧格、凶格から完全に抜け出させた。晩年、白凡の顔には、仁義と愛のカリスマがあふれるだけでなく、尊敬される偉人として歴史に残った。だから貴格中の貴格ではないか。後代に大きな精神的遺産も残したので、これも富格中の富格ではないだろうか。人は生まれたとおりに生きるのではなく、生きる通りにできる。