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ペリクレスのリーダーシップ

Posted April. 16, 2019 08:58,   

Updated April. 16, 2019 08:58

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ペロポネソス戦争が始まった頃、アテネは敗北しそうに見えなかった。スパルタの戦士がとても強力で、短期間でスパルタを屈服させることはできなかったが、経済力、戦略的構図など戦争の勝敗を分ける長期的、巨視的な指標はアテネを示していた。さらに、スパルタの長所という近接格闘の能力も、アリストテレスが指摘したように独歩的ではなかった。スパルタ戦士の能力は、

他がそうしなかったので構築されたのだ。他がスパルタのまねをすると長所は失われた。すなわち、長期戦で、アテネはスパルタの唯一無二の長所も追いつくことができた。

しかし、時間が経つほど、戦争の風向きはアテネに不吉に変わり始めた。ペロポネソス戦争史を書いたトゥキディデスは、その原因として傑出した指導者、アテネに勝利をもたらすほかなかった偉大な人物、アテネが二度と得られなかった才能、ペリクレスの夭折を挙げた。

ペリクレスの卓越した能力は、貧富の問題、集団利己主義やポピュリズムに振り回されるアテネ市民を団結させ、共同の目標を最善の方向に導く能力だった。

むろん、ペリクレスの才能は誇張された面がある。ペリクレスは道徳的で誠実な指導者ではなかった。記録が十分に残っていたなら、真のポピュリストや二重人格者、途方もない扇動家と非難されたかも知れない。おそらく最も良い評価は、卓越した政治工学者程度ではないかと思う。

それでもペリクレスは偉大だった。ペリクレスが死ぬとアテネは分裂し、戦争の勝敗とアテネの未来を目先の貪欲に変えてしまった。指導者は人々を説得したり調整しようとしたりはせず、自身の権力のために誤った選択を扇動し、国家の分裂を助長した。何度も勝利する機会があったが、その度に指導者と市民は最悪の選択をした。

ペリクレスはあらゆる手法を使ったが、その手段を国家の分裂を妨げることに使った。これが指導者の1次的な美徳であり使命ではないだろうか。