Go to contents

三菱強制徴用訴訟、文大統領が2000年に初めて提起

三菱強制徴用訴訟、文大統領が2000年に初めて提起

Posted December. 03, 2018 08:44,   

Updated December. 03, 2018 08:44

한국어

最高裁が日本三菱重工業の強制徴用被害者に対する賠償責任を認めた判決を最近下した中、この事件の訴訟を初めて引き受けた弁護士が、文在寅(ムン・ジェイン)大統領だったことが、2日分かった。

最高裁は先月29日、故パク・チャンファン氏などが、日本の戦犯企業三菱重工業を相手に起こした損害賠償請求訴訟の上告審で、原告の肩を持った原審を確定した。日本植民地時代だった1944年、広島機械製作所に強制動員された被害者たちが、2000年に訴訟を提起してから18年ぶりのことだった。この事件は、日本帝国強制徴用被害者たちが韓国の裁判所で日本企業を相手に起こした最初の訴訟だった。

文大統領がこの訴訟と縁ができたのは、2000年当時、三菱重工業の連絡事務所が釜山(プサン)にあり、この会社を相手にした訴訟も、釜山地方裁判所に提起されたためだ。最高裁事件の照会システムによると、当時の法律事務所「釜山」の代表弁護士だった文大統領は、2000年5月2日、原告側代理人の一人として直接訴訟委任状を提出した。この法律事務所に一緒に身を置いた金外淑(キム・ウェスク)法制処長も、文大統領と一緒に訴訟代理人として名を載せた。文大統領は、2006年11月15日、訴訟代理人の解任書を提出するまでこの裁判に関わった。

文大統領は、直接裁判所に出て訴訟を率いるなど、この事件に愛着を見せたという。文大統領と一緒に訴訟を引き受けた鄭宰星(チョン・ジェソン)弁護士は、東亜(トンア)日報との電話インタビューで、「受任を決める前に文大統領に事件の背景について説明したら、『いいことだから手助けしましょう』と快く事件を引き受けるようにと言われた」と伝えた。鄭弁護士は、「文大統領はあまりにも社会、歴史に関心が高かっただけに熱心だった」と説明した。鄭弁護士は、「訴訟当事者や市民団体、この事件に興味を持っている日本の弁護士たちが法廷を訪れるときは、文大統領が直接食事の席を用意して『頑張って勝訴しましょう』と激励した」と当時を振り返った。

当時、訴訟に一緒に参加した崔鳳泰(チェ・ボンテ)弁護士は、「韓国で先例になりうる歴史的出来事だったので、文大統領の関心も大きかったようだ」とし、「以後(文大統領が)政治に足を踏み入れたことで、訴訟を支援できなくなった」と語った。

日本は、文大統領とこのような縁で絡み合った事件に対する最高裁判所の判決で、なおさら激昂されている。その理由の一つは、ただでさえ、日本を軽視するような態度をとる文在寅政権で行われる慰安婦合意の否定や強制徴用判決などに、文大統領の反日性向あるいは故意性が反映されたのではないかという疑問である。

盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府は2005年、韓日請求権協定の効力を再検討して、強制徴用被害者は請求権協定の対象だったと整理し、その後政府は2015年までに7万件の被害者1人当たりに最大2000万ウォンまでの補償金支払いを完了した。盧武鉉政府の初期に大統領市民社会首席秘書官と民情首席秘書官を務めた文在寅大統領は、2005年当時、政府委員として補償金の支払い問題に直接関わった。そうした文大統領が、韓日請求権協定を事実上否定する内容の最高裁判決について、「手をこまぬいた」ような姿勢を見せると、日本は慰安婦合意の否定と同じ脈絡の「日本軽視」ではないかと受け止めている。日本の一部の週刊誌では、最高裁判決を「文大統領の陰謀論」に関連付ける報道も出た。


金允秀 ys@donga.com · 徐永娥 sya@donga.com