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臨時政府100周年、その偉大な歴史の真実から立て直そう

臨時政府100周年、その偉大な歴史の真実から立て直そう

Posted April. 09, 2019 08:48,   

Updated April. 09, 2019 08:48

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11日で、大韓民国臨時政府が樹立してから100周年を迎える。これまで政府は、4月13日に臨時政府樹立記念式を行ってきたが、国号と臨時憲章を制定し、内閣を立ち上げた4月11日がより適しているという学界の意見に基づいて、昨年見直した。

3・1万歳運動で噴出した全同胞の熱い独立願望を集めて樹立された臨時政府は、光復(日本植民地からの独立)と建国のエンジンとなり、その力をもとに、私たちは、今の大韓民国という誇らしい国を作った。政府は3・1万歳運動と臨時政府100周年を迎えて委員会を立ち上げて、今年一年間大々的な記念式やイベントを準備している。しかし、臨時政府と韓国国内外独立運動については、基礎資料と研究が相当足りないのが現状だ。

臨時政府の資料は、1932年4月29日、尹奉吉(ユン・ボンギル)義士の義挙当日、日本帝国が上海臨時政府に乱入して、多くのものを強奪して行き、以降の資料は、韓国戦争中に北朝鮮軍によって持ち去られた。このようなオリジナル資料がまだ見つからず、臨時政府と韓国独立運動史についての研究の相当部分が、日本帝国の捜査資料や判決文、行政文書などに多く頼っているのが実情だ。臨時政府の隠された歴史だけでなく、日帝統治下の韓半島で生業を続けながら、家族にも知られないように密かに独立運動に直接参加したり、または支援したりした志士たちも数えきれないほど多かっただろうが、事件によって明らかになった独立運動を除いて、後代にその真実が正しく伝えられたケースは多くなかった。独立運動の行跡を盛り込んだ記録が日本帝国の手に渡れば命取りになるので、我々韓国人の手でそういった記録を作成した事例が非常に少なかったことも残念なことだ。この影響で、私たちは、100周年に名前負けするほど、臨時政府と独立運動についてよく知らないし、その無知は不要な消耗論争を生んでいる。

消えた臨時政府の資料は、日本と北朝鮮にある可能性が高いという。これらの材料が保存されているかどうか把握して、取り戻すか、少なくともコピーだけでも入手しなければならない。このような根本的努力のない100周年行事は、イベントに過ぎず、臨時政府の精神を受け継ぐというのも空しい修飾語に過ぎない。「なぜ臨時政府の100周年を記念しなければならないか」を巡っての深い問いかけが必要な時だ。